おさかなセミナーくしろ1992:マイワシの科学 変動のナゾを探る

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1.マイワシはどんな魚?

マイワシの名まえと体のつくり

 日本でもっとも多くとれているイワシの標準和名はマイワシです。この標準和名とは公式のばあいに使われる名前で、国内で統一されています。図鑑や論文などには、マイワシと明記しないと混乱が生じてきます。また、学名といってラテン語でつけられた世界共通の名まえがあります。

 マイワシは体が細長く、下あごが上あごよりわずかに出ており、両あごには小さな歯があります。うろこは円鱗ではがれやすく、側線はありません。背中は青緑色で、腹部は銀白色です。ナナツボシという地方名は体に黒いはん点が一列に7個あることから由来しますが、実際には5個から20個のひらきがあり、魚体によって違うようです。ふ化直後の仔魚は全長約3.3mmで、1年で体長8~17cm、2年で17~20cm、3年で21~22cmになり、大型のものでは24cmほどになります。ブリやホッケのように成長に応じて呼び名が異なり、成長にしたがってシラス、カエリ、小羽、中羽、大羽と呼ばれます。(針生)

日本のイワシ類

 道東の沖合でとれるイワシのなかにはカタクチイワシも入りますが、その大部分はマイワシです。ただ、私達はふだんマイワシと呼ばないで、単にイワシと言っています。日本周辺全体を含めますと、イワシと一口にいってもいろいろな種類がいます。分類学ではニシン目に含まれるすべての種類を上げますと、21種(日本産魚類大図鑑、東海大学出版会)にものぼります。

 ふつう、イワシ類といえば「マイワシ」、「カタクチイワシ」、「ウルメイワシ」の3種がおもな種類で、マイワシがもっとも多く漁獲されています。マイワシとウルメイワシはニシン科に属し、マイワシはどちらかと言えばニシンに近い種類です。一方、カタクチイワシはカタクチイワシ科という別のグループに属しており、前の2種とはあまり近い関係にはありません。マイワシは日本各地、カタクチイワシは北海道より南の日本各地、そしてウルメイワシは本州より南の沿岸に分布しています。(針生)

世界のイワシ類

 地球上には現在約20,000種の魚がすんでいますが、このうちのほとんどは骨のかたい硬骨魚によって占められます。サメやエイなどが骨のやわらかい軟骨魚に属します。硬骨魚はコイ、サケ、サンマ、マグロ、マサバなどごくごくふつうに見られる魚がほとんどそうです。これら硬骨魚の中でも、イワシやニシンは原始的な種類でこれらの魚が祖先となって進化し、いろいろな種類の硬骨魚に分化したと考えられています。

 世界には330種ほどのイワシの仲間がすんでいますが、日本のマイワシに近い種類として、おもなものはカリフォルニアマイワシ、チリマイワシ、オーストラリアマイワシ、ミナミアフリカマイワシ、ヨーロッパマイワシとも呼ばれるニシイワシ、これに日本のマイワシを加えた6種をあげることができます。これらはいずれも年平均の水温が10度から20度にかけての温帯域の海洋に広く分布しているのが特徴です。(針生)

イワシあれこれ  

  日本全国の2,500か所の貝塚から貝とともに、約70種の魚の骨も見つかっており、この中にはイワシ類の骨も見られます。釧路市内の東釧路貝塚でも20種ほどの魚の骨の中には、やはりイワシ類の骨も見つかっており、古代の人々もイワシを食べていたと思われます。 平安時代にはイワシは身分の低い人が食べるものとして、上流社会では下品な魚とされていたようですが、一方では才女の誉れ高い和泉式部や紫式部が大のイワシ好きであったことは、イワシがおいしいことを示す興味深い話です。また、節分の夜に訪れる悪鬼を追い払うために、焼いたイワシの頭とヒイラギを戸口にさす風習は平安時代からとされています。この節分の行事に由来することわざとして、「鰯の頭も信心から」というのがあります。このように、イワシは日本人にとって古くから食用になったり、風習に使われたりして、たいへん馴染み深い魚です。(針生)

道東の漁業とマイワシ

 1953(昭28)年~1989(平1)年の37年間における道東の漁獲量の変化を検討してみます。ここでいう道東とは根室支庁、釧路支庁そして十勝支庁の3支庁を合わせた地域をさします。漁獲量もこの3支庁の合計として示しました。

 漁獲量は1967年~1973年の間、急激に増加します。これはひとつには北洋産のスケトウダラが増えたことによるもので、ピーク時の1974年には約64万トンにも達しました。もうひとつはマサバの豊漁が上げられます。1968年からは10万トンを超え、ピーク時の1974年には26万トンにのぼりました。ところが、総漁獲量は1974年から減少し1980年まで続きます。これはやはりおもにこの2種の減少によるものですが、1981年からは再び急激に増加し、1987年には194万トンにも達しました。この年は釧路だけでも100万トンを超えました。このような最近の漁獲量の増加は、マサバが激減した1976年からはじまったマイワシの大豊漁によりものです。(針生)

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2.マイワシの利用について

資源・価格の動向と利用の状況

 マイワシは資源変動の大きな魚種で、昭和初期には大量に漁獲され、その後激減して幻の魚とまでいわれましたが昭和50年頃から急激に獲れはじめ、昭和58年以降は北海道(主に釧路を中心とした道東海域)で毎年100万トン以上漁獲されてきました。しかし、最近になって再び漁獲量の減少傾向がみられており、今後の漁獲量の推移が注目されています。

 イワシは一般に低価格で、魚の大小や生鮮向け、飼肥料向けなど利用目的により変わりますが、1㎏当たり10円~20円程度となります。また、道東海域で漁獲されるイワシの95%以上は飼肥料向けとしてフィッシュミールの原料となっており、生鮮、冷凍向けは極めて少なく、冷凍品は主に缶詰の原料となっています。(大堀)

フィッシュミールの生産と利用

(フィッシュミールの製造工程)
 原料のイワシはクッカーにより破砕・加熱後、圧搾され、圧搾液と固形物に分別されます。固形物はトンネル型乾燥機で乾燥後、フィッシュミールとなります。圧搾液は遠心分離機により魚油と煮汁に分離されますが、煮汁はさらに減圧濃縮機で濃縮後、ミールに添加されます。

(フィッシュミールの利用)
 フィッシュミールの製造工程からミールと魚油が生産されますが、ミールはニワトリやウシなど家畜の飼料、ウナギやエビなど養殖魚の餌料、穀物肥料として利用されます。また、魚油はオランダなどヨーロッパに輸出され、マーガリンなどに利用されるほか、国内でも化粧品や石鹸などに利用されています。(大堀)

イワシと健康

 イワシは人間の活動に必要な各種ビタミンやカルシウム等のミネラルを豊富に含む魚です。また、脂肪に含まれる高度不飽和脂肪酸は血中コレステロールを低下させる機能をもち、その中でもEPA(エイコサペンタエン酸)は心筋梗塞、脳血栓など成人病の予防、DHA(ドコサヘキサエン酸)は記憶学習機能の低下の防止に効果があることが知られています。イワシの脂肪にはこのEPAやDHAが他の魚よりも多く含まれています。さらに、血圧を正常に保ち、脳出血などの予防効果が認められているタウリン(アミノ酸の一種)を多く含んでいることも見逃せません。このように、イワシは栄養的に優れ、健康維持に役立つ魚です。(大堀)

イワシの煮汁から調味料をつくる -膜分離の技術-

 イワシからフィッシュミール(飼料)を生産する時に副生産物として大量の煮汁(スティックウォーター)が生成します。従来まで、この煮汁には有効な利用方法がなく、生産者は煮汁の処理に困っていました。今回、水産試験場では煮汁から天然調味料を生産する新しい技術を開発しました。それは、煮汁中のタンパク質を酵素で分解して旨味成分であるアミノ酸やペプチドを増加させた後、微細孔をもつ膜(限外ろ過膜、逆浸透膜)を利用して煮汁からアミノ酸やペプチドだけを分離・濃縮するものです。このとき、酵素分解と膜分離を同時に行う膜リアクターを用いることにより、効率的な天然調味料の製造が可能となります。この天然調味料には旨味成分や健康に良いタウリンなどが豊富に含まれています。(大堀)

エクストルーダで肉をつくる -魚肉を畜肉様に-

 エクストルーダという機械は、一台で粉砕、せん断、混合、混練、加熱、圧縮を行い、均一な溶融物として押し出し、成型加工するものです。水産試験場ではエクストルーダを用いてイワシ肉から畜肉様食品をつくる新しい技術を開発しました。イワシの肉に脱脂大豆タンパク質やコーンスターチなどの副材料を添加して、このエクストルーダ(2軸押し出し成型機)に入れます。エクストルーダの中で高い温度と圧力が原料に加えられることにより、魚肉が溶融状態となります。この高温・高圧の溶融物を出口での圧力を調整することにより、例えば徐々に圧力を下げると繊維性をもつ畜肉様の組織化食品、急激に圧力を下げるとスナック菓子のような膨化食品をつくることができます。これらは直接食べるほか、加工用の素材として広く利用することが可能です。(大堀)

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3.釧路沖のマイワシ漁業と資源

マイワシの寿命と成長

 マイワシの寿命は7年位で、シロサケの3~4年、サンマの1~2年前後に比べると小さい割には長生きする魚であるといえます。大きさはだいたい22~23cmくらいまでになります。ちなみに、これまでの最大のマイワシは島根県で獲れたもので体長32cm、体重343gだそうです。
 マイワシの卵は直径1mm前後の球形をしていて、卵は3日位で孵化します。生後1~3ヶ月で6~30mm前後のシラスになります。生後1年で15~16cm、3年で18cm前後に成長し、産卵をするようになります。
 マイワシの鱗には樹木のように年輪が刻まれています。この年輪は成長が遅くなる冬につくられ、1年に1本づつできます。この本数を数えることによって年齢がわかります。(三原)

マイワシの餌とその食べ方

 マイワシのごちそうは、海水中にプカプカ浮いて生活しているプランクトンという小さな生き物です。プランクトンには非常にたくさんの種類がありますが、主に2つの仲間に分けられます。1つは動物プランクトンで、大きさが0.1~1.0mm前後のものです。サンマやサケ・マスもこれを餌としてよく食べます。もう1つは、植物プランクトンで、大きさが0.01mm以下で光合成をして生活をしています。マイワシはこれも餌として食べます。しかし、他の魚はあまり食べません。
 海の中に浮いているプランクトンを、マイワシはクジラのように口を大きく開けながら泳いで、多くの水と一緒に吸い込みます。口の中に入ったプランクトンは鰓にある鰓把と呼ばれる器官でこしとられて餌として食べられます。水は鰓から外に出ていきます。(三原)

マイワシの分布と回遊

 マイワシの分布域は資源量の増減によって拡大縮小します。資源が少ない時は道東海域には全くいませんでした。しかし、1970年代後半になって、資源が増加するとともに、分布域は拡大し、日本中どこでもみられるようになりました。特に道東海域ではピーク時には1000万トンを超えるマイワシがやってきたそうです。
 マイワシは渡り鳥のように季節ごとに移動を繰り返します。太平洋側にすんでいるマイワシは、冬~春に房総半島~九州の沿岸域で産卵します。産卵後、餌の多い北の海域を目指して北上を始めます。これらは5月~8月に三陸沖、7~10月には道東沖、千島列島まで北上し、ここで餌を腹一杯食べ、充分な栄養を蓄えます。そして、10月~11月になると次の産卵のため、南の産卵場へ目指し南下していきます。(三原)

道東沖とマイワシ

 道東沖は、北からの栄養やプランクトンが豊富にある冷たい海流(親潮)と南からのマイワシ・マサバなどが乗ってやってくる暖かい海流(黒潮)とが春~秋にぶつかりあう場所です。このため、ここは魚にとって餌が多く住み易いところです。道東沖にやってくるマイワシはここで、夏~秋に餌をたくさん食べるためにやってきます。このため、ここで獲れるマイワシは他の海域に比べて太っていて脂が乗っています。

 道東沖ではマイワシはまき網という魚法で漁獲されています。この漁法は船団を組んで行われ、1船団はレッコボート(網を巻くときに使う小さな船)と長さ1.8km、幅250m前後の大変に大きな網を積んで魚をとる網船1隻、魚群を探す探索船1隻、獲った魚を運ぶ2隻の運搬船の計4隻で構成されています。ここでの操業隻数は24船団96隻です。(三原)

マイワシの獲り方

 まき網は大きな網で魚群を包囲して一網打尽に魚を獲る魚法です。

 漁はまず魚を探すことから始まります。船団が協力して魚群探知機とソナーという機械で水中の魚群を探し、魚群の水深、進行方向、速度を見極めながらを追いかけます。網船はタイミングを見計らって網の一端がつながっているレッコボードを切り離します。網船は網を下ろしながら全速力で旋回し、レッコボートと協力して、魚群の周りを取り囲む直径500~600mの包囲網を作ります。魚群の包囲が完成すると、網の下の方から巻き上げて、網の輪を小さくしていきます。網がしぼられると、モッコという大きなタモ網で運搬船にイワシを積み込みます。獲った魚は運搬船に積んで港まで運ばれます。道東沖で一巻で獲れる量は数10トンから多いときで600トン、平均でだいたい200トン位で、尾数に換算すると200万尾前後になります。(三原)

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4.マイワシのこれから

マイワシの現状とこれから

 道東海域でマイワシは1976年頃より獲れ始めました。その後、漁獲量は急増し、1983~1988年には100万トンを上回る漁獲があり、日本のマイワシ漁獲量の1/4を占めていました。ところが、1989年以降漁獲量が減少し始め、1991年には約67万トンになってしまいました。

 最近、獲れるマイワシは、年をとった大きなおじい(ばあ)ちゃんイワシしかいません。現在のマイワシの社会は今の日本の様に高齢化社会となっています。これは1980~1986年頃までマイワシの世界では生まれる子供の量が多く、ベビーブームが続いていました。ところが1988年を境に、急に出生率がおちて、子供の量が少なくなりました。このため、近年、マイワシの資源量は減少してきています。これからを担う若い魚がいないことはマイワシの世界にとって深刻な問題となっています。(和田)

日本周辺での浮魚類の豊凶(魚種交替)

 マイワシやサバ類など、海洋の表層に棲み、群を作って広く回遊する魚を、一般に浮魚といいます。

 浮魚類では、その数(資源量)が長期的に大きく変動しています。このとき、各種が同時に増えたり減ったりすることはなく、特に多い魚種が交替する現象が知られており、「魚種交替」とよばれています。日本周辺海域での浮魚類の漁獲量の年変化をみると、マイワシでは1930年代と1980年代の2つの豊漁期があり、それ以外の浮魚類は、マイワシの不漁期に増減しています。しかし、そのタイミングは少しずつ違い、マイワシ→カタクチイワシ+アジ類→サバ類→マイワシの順で交替しているようにみえます。

 魚種交替の原因は今のところ不明です。しかし、いずれの魚種もプランクトンを餌とし、棲み場所も重なっているため、種と種の間の競争が激しく、一方が増えれば他方が減る関係にあることが考えられています。(和田)

マイワシはなぜ減る(増える)のか?

 マイワシの資源の変動は、毎年産みだされる卵の数と、それが親になるまでの生き残りが年代によって大きく変化するために起こります。

 マイワシは冬から春にかけて日本の南で産卵し、夏から秋にかけては、餌を食べて成長するため、釧路沖をはじめとする北の海へ回遊します。産卵場では、卵や稚仔が他の魚などに食べられることや、稚仔魚の餌となる小型のプランクトンの量が、それ以後の生き残りに大きな影響を与えます。一方、餌場(索餌場)では、マイワシの増加につれて、一尾あたりの餌の量が減り、成長が悪くなり、親になる年齢が遅れることや、分布が沖合へ広がることが知られています。これらは、卵を産む時期や場所、産み出される卵の数に関係すると考えられています。

 産卵場や索餌場での餌の量や他の魚の分布、さらには、マイワシ自身の分布・回遊が変化する背景には、黒潮や親潮など、海そのものの大規模な変化があると考えられています。(和田)

マイワシのこれから

 これまでの研究により、海洋や気候の数十年周期での大規模な変動が、植物プランクトンから、サメやイルカなどの魚食性の大型魚類やほ乳類にいたる海の生物生産のしくみ(食物連鎖)を支配していることがわかってきました。

 プランクトン食者である浮魚類は、食物連鎖の中で低い位置にあり、海の変化の影響を受けやすい立場にあります。しかし、魚種によって、好むプランクトンの種類や大きさが違っており、海の変化にあわせて、これらが変化すれば、その条件にも最も適した浮魚が増えることが考えられます。

 マイワシも今後は減少し、釧路沖から姿を消す日も遠くはないでしょう。しかし、これは海の生物生産のしくみがダイナミックに動いていることに他なりません。私達にとっては、この海の生物生産のしくみをよく理解し、これと調和した魚類資源の利用を図ることが大切です。(和田)

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