おさかなセミナーくしろ1997:道東のニシン 資源増大へのチャレンジ

パンフレット表紙
パンフレット
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  • パネル展
    • 平成9年8月13日~8月31日 釧路市立博物館(1Fエントランスホール)
    • 平成9年9月2日~9月13日 釧路市生涯学習センター(2F展示ホール)
  • 講演会
    • 平成9年9月13日 14:00~16:30 釧路市生涯学習センターまなぼっと幣舞(2F多目的ホール)
  • 講演内容
    1. ニシンの博物史 (釧路市立博物館 針生 勤)
    2. ニシンの漁業と生活史 (北海道立栽培漁業総合センター 酒井勇一)
    3. ニシンの成熟と産卵 (北海道区水産研究所 松原孝博)
    4. 湖沼性ニシンの増殖 (日本栽培漁業協会厚岸事業場 錦 昭夫)

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「ニシンの博物史」

ニシンの話あれこれ

 ニシンは「鰊」と書くのが普通ですが、「運歩色葉集」(1584年)に「鯡」が最初にあてられています。この文字の由来について、「本草綱目啓蒙」(1806年)に「鯡は賤民と猫の食なり」とあり、魚ではなく飯であったという説。また、身欠きニシンを本州に送り、米と交換できたことから、「魚に非ず」という説もあります。「鰊」は、本朝食鑑(1692年)に「上古よりかずのこを用いて鰊を食するを知らず。」として出ています。史実では、十三代将軍足利義輝が美味なるものとしてカズノコを食べている記録があります。江戸時代には一皿のカズノコ料理が五百文で、当時一泊の宿泊代が二百文でしたから、昔もカズノコは高価なものであったことが伺えます。各地でカドやカドニシンと呼ばれますが、北海道にはさまざまな呼び名があり、ニシンと人との深いかかわりを実感させてくれます。ニシンは太平洋ニシンと大西洋ニシンの2種に分けられ、日本周辺に分布しているのは太平洋ニシンです。(針生)

カズノコと身欠きニシン

 ニシンといえばやはり正月のおせち料理にかかせないカズノコを連想される方が多いでしょう。ところが、日本の伝統的なこの加工食品は今やほとんど外国産です。1965年(昭和40年)にまずソ連産のニシン卵が、1972年からは中国、カナダおよびアメリカ産のニシン卵が大量に輸入されました。1982年から大西洋・ヨーロッパ産のニシン卵が日本に入ってくるようになって急激に増え、1988年には3万トン近くに達しました。1991年の生産量をみると、カナダなどの太平洋ニシンと大西洋ニシンの卵の輸入量が全体(28,860トン)の約57%を占めました。親ニシンはいろいろな加工品に利用されますが、身欠きニシンもそのひとつです。これを材料とした北海道のニシン漬、青森の三平汁、京都のニシンそばなどが知られていますが、関西よりも北の各地にさまざまな郷土料理があります。ミネラルなどの豊富な身欠きニシンは、昔から保存のきく、栄養食品、エネルギー源だったのでしょう。(針生)

世界の分布と輸入量

 太平洋ニシンは、アメリカ側ではアラスカ沿岸からカリフォルニアまで分布しています。アジア側ではベーリング海からオホーツク海、日本海、黄海にまでおよんでいます。現在、日本の周辺では南から茨城県の涸沼、宮城県の石巻湾、青森県の尾駮沼、北海道の湧洞沼、厚岸、風蓮湖、能取湖、サロマ湖、石狩湾、などの産卵場が小規模ながら知られています。また、サハリンと沿海州の沿岸にも産卵場が見られます。近年の日本の漁獲量をみると、1976年(昭和51年)まで5~10万トン程度は漁獲されていました。1978年以降、増減はあるものの数千トンに落ち込んで今日に至っています。一方、1950~60年代に北海道沿岸の産卵ニシンが激減したと同時に、ロシアから輸入が開始され、その後カナダなどから太平洋ニシンが日本に入ってきました。1980年代からオランダ、イギリスの大西洋ニシンも輸入され始めました。1994年の例ではアメリカなど9カ国から約6万8千トンが輸入されています。(針生)

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「ニシンの漁業と生活史」

ニシンの漁獲量の変化

 本道のニシン漁獲量は1897年(明治30年)の約97万トンをピークに激減し、1938年(昭和13年)には1万2千トンまで減ってしまいました。1944年(昭和19年)に一旦35万トンまで持ち直しましたが、その後再び減少し、現在は2,200トンと最盛期の0.2%しかとれない魚になってしまいました。

 最近は主に宗谷支庁、網走支庁そして根室・十勝支庁管内で多く漁獲されています。

 こうしたニシンの減少の要因として、産卵期である冬~春の水温の上昇などが考えられています。

 道東海域をみると、かつて厚岸で、1958年(昭和33年)に1万5千トン、(このときは1日で1,500トンをあげる日があったそうです)1967年(昭和42年)に2万トンの水揚げを記録しましたが、乱獲もあり、現在は12トンのレベルにあります。一方、根室支庁管内の風蓮湖(図の湾中と別海の合計)では600トン、十勝支庁管内でも220トンと近年水揚げが増えています。(酒井)

北海道沿岸のニシンの系群

 ニシンは太平洋側では茨城県以北、日本海沿岸では渤海(中国)以北に分布しています。これらのニシンは産卵場所の違いなどによりいくつかの系群に分類されています。

 北海道沿岸には、水深18m以浅の海で産卵し、広く回遊する北海道・サハリン系群(海洋性広域型)の他、同じく海で産卵しますが回遊範囲が狭い石狩湾系群(海洋性地域型)、そして湖沼で産卵する風蓮湖系群、厚岸系群、湧洞沼系群、サロマ湖系群、能取湖系群等の湖沼性ニシンがあります。また、サハリン東海岸の、海と湖沼の中間的な塩分濃度で産卵し、回遊範囲があまり広くないテルペニア系群が石狩からオホーツク沿岸を経て厚岸まで来遊するといわれています。 (酒井)

海洋性ニシン(北海道・サハリン系群)の生活史

 北海道・サハリン系群(通称春ニシン)では、0~2歳までの若い個体が東北の三陸海岸・金華山沖まで索餌回遊(コペポーダやオキアミなどの餌を求めて回遊)を行い、その後オホーツク海を経て、主に4歳以上になってから積丹以北の日本海側に産卵に来遊してきていました。

 コンブ、スガモ、ホンダワラ類、石灰藻などへの産卵の様子は群来(くき)と呼ばれ、大量に来遊する雄の精子で海が真っ白になったといわれます。(酒井)

湖沼性ニシン(風連湖系郡)の生活史

 風蓮湖では、3月下旬~5月下旬頃2、3歳魚が中心となって、湖の奥に生えているアマモなどの海草に多いときは1本あたり20個程度の卵を生み、その総数は約30億個とも推定されています。(小林、1997年)。これらの卵からふ化した稚仔魚は、体長8cmぐらいになるまで湖の中で育ち、7月下旬には外海へ出ていくようです。これらのニシンが再び風蓮湖に戻ってくるのは2年後の9月下旬頃からです。

 風蓮湖の漁師さんたちは、このニシンを絶やすまいと親魚の禁漁期を設けたり、網目の拡大、産卵場保護などに力を注いでいます。また、これと併せて日本栽培漁業協会厚岸事業場で生まれた稚魚の放流も行っています。そのかいあって、3月末~4月初めには湖の奥で水面が白く泡立つ群来(くき)を見ることがあるほど、最近ニシンが増えています。(酒井)

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「ニシンの成熟と産卵」

ニシンの成熟と産卵の年周期

 魚類の多くは1年のうちのきまった時期に産卵します。魚の中にはその産卵期の間に何回も産卵する種類と1回だけ産卵する種類がいます。道東のニシンは4月の初旬が産卵期で、1年に1回だけ産卵します。道東では満2歳で最初の産卵が見られ、その後毎年産卵します。

 厚岸の日本栽培漁業協会にある大型水槽でニシンを飼育して、卵巣や精巣の発達とそれらを調節している性ホルモンの分泌状況を調べました。その結果、卵巣と精巣は9月以降に活発に発達し、血液中の性ホルモンもその時期に高い濃度で見られました。魚類の成熟と産卵は日長(昼と夜の割合)や水温などの環境要因によって調節されています。道東のニシンの成熟期は夜が長く、水温の下降する時期にあたり、成熟にはそうした条件が必要と考えられます。また、人工的に環境条件を調節しながら親魚を飼育してやることによって、産卵する時期を変えることが可能になります。(松原)

雌の成熟-卵巣の発達

 成熟した雌の腹部の中には一対の卵巣が見られます。これらはまわりを卵巣膜でつつまれて袋のようになっています。袋は腹部の後方にある生殖口につながり、そこから産み出されます。(カズノコでは、この膜は取ってあります。)卵巣膜の中の卵は、ろ胞層に包まれて発達しています。さらに、それらは薄い膜でおおわれてヒダのようになっています。卵は、生み出される直前にろ胞層からはずれて自由になりますが、ヒダは全ての卵を短時間ではずすために最適な構造です。

 卵の発達には1年ぐらいかかり、初めはゆっくりと進みますが秋から急速に成長していきます。急速な成長は、卵の中に卵黄(鶏卵の黄身の主成分と同じ)を活発にためているからです。卵黄は胚発生のために母親からわたされた重要な栄養です。完成した卵は外側を卵膜と呼ばれる殻でおおわれています。ニシンの卵は海藻(草)にくっつくために、さらに外側に粘着物質をもっています。(松原)

雄の成熟-精子形成

  ニシンの精巣は左右一対あり、形は卵巣と似ています。成熟した雄の精巣は真っ白で、上部に精子を生殖口へと運ぶ輸精管があります。精巣の中には、精子やこれから精子になる細胞が無数に見られます。精子になる細胞は何回も細胞分裂し、多数の精子をつくります。完成した精子は遺伝情報を入れた頭部と運動のための尾部からなっています。卵膜に1カ所だけ開いた「卵門」を通って、一個の精子だけが卵細胞質に進入して受精します。

 サケの精子は短命で、川で放精されると30秒ぐらいでほとんど死んでしまいます。そのため、雄は雌とならんで放卵と同時に放精します。ところが、ニシンの精子は長生きで、海水中で何日も生きられます。この性質によって、雌と雄がペアで同時に放卵や放精をしなくても受精します。天然の産卵場には、多数の雄の精子が生きています。卵が様々な組み合わせで受精することによって、環境が変化しても生き残れる子供が出現し、種の繁栄に有利になります。(松原)

ニシンの産卵

 厚岸の日本栽培漁業協会の水槽内で、ニシンの産卵行動と放卵・放精の瞬間を観察することができました。ニシンは卵を海藻(草)に生み付ける習性をもつため、水槽に何もないと産卵しません。しかし、人工海藻を入れてやると、やがて産卵を開始します。産卵行動は雄も雌もよく似ており、次の順で行われます。1)最初は警戒しながら人工海藻を見に集まってきます。2)人工海藻の間を泳ぎながら使えるかどうか確かめます。3)試しに産卵するまねをします。4)そして産卵がいっせいに始まります。雌は横から上に泳ぎながら数個ずつの卵をぱらぱらと生みます。雄も上に向かいながら放精します。ニシンは産卵のためにペアはつくりません。これは、多数の雌雄が同時に産卵する習性によるものと考えられます。風蓮湖や厚岸湖で産卵する天然のニシンは、主にアマモという海草を利用しています。ニシンを増やすためには、産卵に必要な海草を守っていくことも重要です。(松原)

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「湖沼性ニシンの増殖」

増殖の試み

 魚(漁業資源)を増やすためには、(1)規制によるもの、例えば捕らないあるいは捕る時期を制限するなど、(2)増殖事業すなわち種苗を放流するあるいは産卵場所等を造るといった方法があります。また、魚は、(3)非常に多くの卵を産んで増えることができます。この特徴を利用して、さまざまな魚種で漁獲量を増やそうと、卵からふ化したばかりの小さく、弱い時期を人の手で、守り・育て、成長したものを自然の海に戻してやるサケと同じ増殖事業が、国・道府県をとわず、全国各地で行われています。厚岸では、以前大量にとられたニシンを取り戻す試みが行われています。(錦)

種苗生産(1) -採卵・ふ化-

  ニシンの種苗の生産にはすべて人工授精させた卵を使います。町役場・漁協・道の指導所などの協力のもとに、厚岸湾・厚岸湖で捕られたニシンから卵巣と精巣を取り出し、人工受精させます。ニシンの卵は粘着性を持っているので、ネットに付着させ、海水をかけ流しにした水槽で管理します。受精した卵の大きさは1.3~1.6mmで、10℃では約2週間、5℃では約1カ月でふ化します。ふ化直後のニシンの子供は7~8mmです。(錦)

種苗生産(2) -生産・成長-

 厚岸事業場では角型の50m3水槽(7.8×4.8×深さ1.4m)に卵を付着させたネットをふ化直前に収容し、種苗生産を始めます。ふ化後25日頃まではシオミズツボワムシ(大きさ0.2mm)を、ふ化後10~60日はアルテミアの幼生(大きさ0.5mm)を、ふ化後20日以降には成長にあわせた配合飼料を餌として与えます。ニシンの子供は最初からしらす干しのような形をしていますが、ふ化後40日で3cmほどに成長し、ほぼ親と同じ形になります。また、ふ化後70日で5cmになり、網ですくえるほどになります。この間、2cm頃にやや死ぬものが増えますが、5cmまで30~40%が生き残ります。種苗を作る技術の基本的な点はほぼ解決されたといえます。(錦)

放流と漁獲

 自然の海に慣らすために生け簀網で約2週間育てられた種苗は、6~7cmに成長し、放流されます。放流されるニシンには2cmの頃に耳石(脳の後にある感覚器官)に蛍光物質で印をつけ、大きくなっても顕微鏡でみれば人工種苗であることがわかるようになっています。厚岸でのニシンの放流は1987年(昭和62年)の数万尾から始まり、1990年(平成2年)には10万尾に、1994年(平成6年)には20万尾に増えています。厚岸市場に水揚げされるニシンは数トンで、ほとんど変化がみられませんでしたが、1996年(平成8年)から漁獲が増加し始めています。また、1995年および1996年(平成7年および8年)に厚岸市場に水揚げされたニシンの耳石を調べたところ、3~4割が人工生産魚で、少しづつですが効果が現れ始めたように感じられます。(錦)

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